昭和20年5月29日は横浜大空襲があった日です。
これは昭和51年に横浜市がまとめた「横浜の空襲と戦災 体験記編」です。
たまたまこの本の記事の原稿(母の分のみ)が出てきましたので一緒に写真に撮っておきました。
横浜大空襲があったときはまだ父母は結婚する前でしたが、2人とも横浜の黄金町、南大田付近で別々に空襲にあっていた。
自分の両親ということを通り越して、昔の人は大変な時代をすごしていたんだということがよくわかります。
私の父も母も既に亡くなっていますが、最近になって昔の資料とかを整理しだしていて横浜大空襲についても、いまになっていろいろわかったこともあります。
ここではとりあえず横浜大空襲の基本的事実をメモとして要点のみ書いておきます。
1.横浜大空襲はいつか?
昭和20年5月29日、午前9時ころから10時30分頃までの約1時間30分
消失は18平方キロメートル
2.爆撃機
B29が517機とP51が101機で、B29はマリアナ基地から、P51は硫黄島から出撃。
3.投下焼夷弾等
6ポンド小型油脂焼夷弾、100ポンド膠化ガソリン焼夷弾、一部小型エレクトロン焼夷弾を主体とし43万個以上、重量は2570トン。(参考:3/10の東京大空襲での投下量は1783トン)
細かなところでは30cmおきの密度で投下。
4.被害区
鶴見区、神奈川区、西区、中区、南区、保土ヶ谷区、磯子区、港北区
(神大寺、片倉、明神台は被害なしだが星川、桜ヶ丘は被害あり)
5.罹災
罹災戸数は約75000戸、罹災者は約31万人、死者3650人、負傷者約1万人。
6.横浜空襲の回数
横浜の空襲回数は25回
混乱していた時期なので以上のデータは100%正しいと言い切れるものではないと思うが、いろいろ調べて現在の調査分でのデータと思えばいいとおもいます。
私のブログは思想的内容や想定での意見/考えは原則書きませんので、事実と思われる内容のみ記しておきます。
まあ、戦争なんてだれもがやってはいけないと思ってるはずですが、今の世界を見てもわかるようになくなりませんね。
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